手に職を付けるために

私は、今まで特に何の資格も無く仕事をしてきて、そして結婚を機に一度仕事を辞めました。

そして、出産をして育児をしているのですが、同じ時期に出産をしたママさんたちの話を聞くと学校の先生をしていたり、看護師をしていたり、今は育児休暇中で仕事はしていないけれど、いずれ仕事復帰をするという人の話を聞くことが多いです。

今は、自分自身も何歳まで生きるか分からない世の中ですし、蓄えは必要になります。
また、年を取っても趣味を見つけて何かに取り組むためにもお金がかかります。

そんな時、仕事をするためには資格を持っているというのはとても心強いなと思います。

私自身、何の資格も持っていないのですが、これからの将来のほうが長いことを考えると、何か強みになる資格を取得したいなと思うようになりました。

「どんな資格が合っているのか」
私自身、すでに30歳を過ぎていて今から学生のように勉強するというのは難しいです。
そこで、在宅で勉強をして、資格を取得出来たら良いなと思います。
しかも、自分の生活に役立つ知識も得られるように、という一石二鳥名資格を取得出来たら良いなと思います。

好きなことをしながら、お金も貯められる、そんなものが無いかをこれから調べていきたいと思います。

今興味があるのが、子育て関連の資格で、これならば、自分の子育てにも知識を付けられますし、これから、子育てが終了してもそれを教える側になれるのかなと思います。

沢山の資格があって、簡単には選べないのですが、勉強することは好きなので、楽しみながらやっていけたら良いなと思っています。
資格取得に向け、自分に何が必要か、これからどういう世の中になっていくのか、考えていけたら良いなと思います。

若き日のとある思い出

社会人になって始めて社員旅行というのを経験しました。場所は群馬県の草津温泉で、日本有数の温泉地であります。

おじさんが多かった会社。旅行中コンパニオンを呼んだのですが、そこで色々苦笑いするような事がありました。

成人してから始めてのコンパニオン

そもそもコンパニオンとはどういうものなのかが解りませんでした。18歳では何がなんだかわからない。

御飯を食べ終わり暫くすると、コンパニオンと言われる人が宴会場に入ってきました。

見た目が派手な女性の人が入ってきて、ああこれがコンパニオンなんだなと思いました。

18歳ですので私はお酒が飲めません。従って、自分は我関せずという事でいた所お酒を注ぎにやってきた私からすると年齢がかなりいっているいる、コンパニオンがやってきました。

自分はお酒が未成年だから飲めませんと丁重にお断りし、上司に注いでもらうように仕向けました。所が暫くしておかしな展開となるのです

泣き出すコンパニオン

暫くすると、おいおい泣き始め出しました。

どうも相当飲まされたようで、大丈夫ですか?と声をかけると、なにやら身内話が始まりました。

どうもお話を伺うと、3人の子供がいて駄目な母親なんですとか、旦那が逃げてどうのこうのとか、18歳の私はなんだかかわいそうになってきて、懸命に励ます事となりました。

しかし励ましながらお酒を注いであげつつ、反面「なんだこりゃ」と思いながらどうする事もできず、慰める事に懸命となりました。

どうも草津のコンパニオンは高崎市あたりから派遣されてくるようで、出張をかなりするようです。

(ほかのコンパニオンが話すには)かなり大変な仕事らしく苦労が絶えないようでした。

かなり貴重な体験ですが、何が面白いのか若い私には全く解らない出来事でした。

他のおじさん連中は楽しいのでしょうが、私はこのお金を折半させられる始末。

訳の分からない大人社会のルールに若気の私は、大変な大人の不条理を勉強させて頂きました。今となってはいい思い出?なのでしょうが

車の旅

出発まで

定年退職後の楽しみにしていた、車で日本を縦断する旅を敢行することになった。

家族の了解をとりつけ、旅行用の車を物色する。

ワゴン車や流行りのSUVやワンボックスカーの中から選んだのは、BMWの小柄なSUVであるX1のディーゼルモデル。

燃費の良さと取り回しの良さから決定した。色は無難な白。革のシートを奢った。

四国と自宅のある福岡県は除き、今まで行ったことのない都道府県を概ね1か月ですべて廻るのが目標です。

フェリーと最初の1週間の宿の予約をし、5月の最初の土曜日に出発しました。

旅程

初日は福岡県の自宅から京都の舞鶴港まで約650㎞を8時間ほどかけて走破。

23時50分発の新日本海フェリーで北海道の小樽まで丸1日の航海。

翌日の20時45分に始めて北海道の道を走りました。翌日は日本最北端の宗谷岬を見た後、稚内泊。

その後、旭川、釧路、札幌、函館に宿泊しながら1週間で北海道を一巡りしました。

広大な北海道の真っすぐな道と、雄大な景色が目に焼き付いています。

青函フェリーで青森へ渡り、東北を廻ります。山形の山寺や福島県の大内宿などの観光地に立ち寄りながら、1日に200~300kmを走っては各県庁所在地にあるビジネスホテルに宿泊する旅を続けます。

その後は関東、中部、近畿、中国の各地方を同様のペースで旅しながら、乳頭温泉、城崎温泉、島根の海潮温泉では少し贅沢をして旅館でゆっくりと骨休めをしました。

福岡に帰り着いたのは、6月の初旬。30日で約7,000kmの旅でした。

感想ほか

幸いにも無事故・無違反で旅を終えることができました。

ただ一つ、宇都宮市のホテルを探す途中でちょっとした自損事故を起こし、新車に傷を付けたのが残念でした。

北海道についたときは桜が満開で驚いたのに、福岡へ帰れば菖蒲の季節。

日本の広さと、景色のすばらしさ、各地の暮らしぶりの多様さが印象に残る旅でした。

年を取ったのね、と実感する日々

若いうちは、実感がなかった、年を取るということを、最近、実感する日々が続いています。

30代が過ぎて、40代も半ばを過ぎた今、街中で、ふとした折に実感する、自分も年を取ったなあ、という小話を、お伝えしたいと思います。

街を歩く女性がみんな、アイドル並みの美しさ

ある日、四足の小動物にリードをつけてお散歩をさせている女性と、交差点の信号待ちでたまたま隣になったシーンが、私の場合の、その瞬間だったのでした。

イマドキのお洒落な衣服を纏った、くるくる巻きの茶髪をした細身の若い美人さん。

俯きがちに歩く癖がある私の視界に突然入ってきた可愛らしい小動物のリードを辿り、上に視線を持っていくと、
リードの握り主は、こんなモデルさんみたいな、20代らしき女性だったのでした。

「わあ、こんな場所に、モデルさんだ。かっわいー。至近距離で見られてラッキー!」

と、思ったものの、そんなわけは、ないのです。

そこは私の自宅付近で、特別に何があるわけでもない、普通の、ごくごく地味な町の交差点。

この洋風なペットの名前も分からない私は次の瞬間、このうら若き女性の”美”と“若さ”そのものに、深く感動している自分を意識したのでした。

「こんなに小さな子供を働かせて、と思ったら」

さて、こんなこともありました。

街角を行く社会人に成り立て風の女性や、前から自転車を元気に漕いでくる女子高生たちを見て、

「みんなアイドル並みに綺麗なのに、普通の暮らしを送っているの?」。

日常的に、こんな疑問に感じるようになっていた頃、今回も自宅付近の評判のいい自転車屋さんの店先に、小学生くらいの男の子が座り姿勢で自転車の修理をしている場面に遭遇しました。

「こんな小さな子供を働かせて・・・」

と日本の法律はいつから変わったのかしら、と真剣に思っているとその時です。

店の奥から、私がよく知る働き者の従業員が、店先のこどもに声を掛けたのでした。

すると二人の間では、立派でしっかりとした仕事上のやり取りがなされ、私はつい今しがた自分が抱いた感覚に愕然としたのでした。

「働く大人を小学生ほどに感じるなんて、私って、なんだか、おばあさんみたい」

とほほ、な気持ちでしたが、人は誰しもこのような感覚を覚えながら、きっと50代になり、60代に入っていくのねと何とか気を取り直したものでした。

みなさんは、年を取ることについて何か感じたりされていますか。

四十肩が、ついに、私にも訪れました

四十肩、五十肩って、聴いたことがあるのではないでしょうか。

例えば街を歩いていて、接骨院の看板に、「五十肩の方、どうぞ」みたいに紹介されている、あれです。

「そうは言っても、私は四十肩には、ならないだろう」

と、人はどうして自分はならないと思うのでしょうね。40代になっているのに。

四十肩になって、完治までに2年ほども掛かってしまった私の体験を、ちょっとだけお話しさせてください。

転居作業が済んだころ、四十肩は突然訪れました

一家まるごとの転居って、ほんとうに大変ですよね。

多くの主婦は、自分の持ち物以外に、家庭の中の雑貨や家族の持ち物のほとんどの荷造りや荷解きを、実際には担当するのではないでしょうか。

私もそうだったのですが、転居が無事に済んで、荷解きも終え、新しい住まいで、家中のあるべき場所にあるべき物を、ようやっと仕舞い終えたころ、四十肩は突然やってきたのでした。

「あれ?痛い。上がらない!」

ある午後、食器を自分の身長よりも上の位置の棚に仕舞おうとして、右の肩が痛くて上がらない瞬間が突然やってきたのでした。

病院を3つも変えてしまって、完治までに2年掛かりました

私って笑われそうですが、整形外科の先生が、私の方をレントゲンで撮影して、

「五十肩ですね」

と診察をしてくださっても、まだ、

私は40代前半だし、五十肩なんて、ならない!

なんて、心の中で自分の加齢を認めようとしませんでした。

そのくせ、先生が教えてくださった五十肩体操には、自宅で必死に取り組んでいました。

それでも、五十肩は人によって、数か月で治る人もいれば、長くて1年以上続く人など、ほんとうに様々ということらしいです。

私は、なかなか治らないことに不安になってしまい、どこも、良い先生でしたのに、結局3つも病院を変えながら、完治するまで、2年近くの歳月を要してしまいました。

味わった痛みと不便に比べたら、どうでもいいことのようなのですが、最後にひとつ、どなたか教えてください。

よく、言葉が出回り始めた頃に、“アラフォー”と、“アラフィフ”の線引きの年齢が取りざたされていましたが、“四十肩”と、“五十肩”についての線引きは幾つなんでしょうか。

女性は幾つになっても女性でございまして、私、痛みのさ中も、そんなことが、とっても気になっちゃいました。